講演 どこへ行くヨーロッパ (1ジャーナリストの見た欧州統合)    熊谷 徹

 

日時:2005518()、14:40−16:10

 

場所:早稲田大学文学部・第一会議室(33号館 2階)

 

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(飯嶋先生による講師紹介)

熊谷 徹(くまがいとおる)さんは、1982年に早稲田大学政経学部・経済学科を卒業された後、NHK・日本放送協会に記者として入局されました。熊谷さんは、神戸放送局で、5年間にわたり、事件取材を担当された後、東京の国際部に配属されました。

 

国際部ではアメリカやドイツ、ポーランドにそれぞれ3ヶ月単位の取材旅行をされ、アメリカの訴訟社会、大統領選挙の裏側、ドイツの過去との対決などをテーマにして、NHKスペシャルの取材・制作を担当されました。1989年にはNHKワシントン支局に特派員として配属され、ベルリンの壁崩壊、マルタ島での米ソ首脳会談や、モスクワでの米ソ外相会談などを、現地で取材されています。

 

熊谷さんは、ヨーロッパとドイツにテーマを絞るために、1990年にNHKを退職された後、ドイツ南部のミュンヘン市に移住されました。現在はフリーのジャーナリストとして、「中央公論」や「エコノミスト」などに論文や記事を発表されているほか、丸善ライブラリーや新潮社から、ドイツに関する本を5冊出されています。

 

熊谷さんは、政治、経済、文化などドイツとヨーロッパに関する、広い範囲のテーマを手がけておられますが、中でも、ユーロの導入に象徴される、ヨーロッパの統合、統一後のドイツの変化、冷戦が終わった後のアメリカとヨーロッパの関係などに、注目されています。

 

新聞社やテレビ局の特派員は、3年から4年で転勤になります。15年間にわたってドイツに住み、ヨーロッパの変化を、「自家製・特派員」として、現地から報告し続けている日本人は、あまりいないと思います。今日は熊谷さんに、新聞やテレビからは伝わってこない、ヨーロッパの動きについて、お話しして頂きたいと思います。では熊谷さん、お願いいたします。

 

(熊谷)

 

1 初めに

 

ありがとうございます。ただいまご紹介にあずかりました、熊谷と申します。

 

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いまヨーロッパは、歴史や国際政治に関心がある人にとっては、世界中でいちばんダイナミックで、面白い地域です。その理由は、過去2500年にわたって戦争ばかり繰り返してきた国々が、初めて主権の一部を国際機関に預けて、団結することによって、永続的な平和を手にしようとしているからです。こうした動きは、アメリカにもアジアにも見られません。たとえば、19世紀以来、周りの国と戦争を続けてきたドイツは、いま周辺に全く敵がいないという、歴史の中でも珍しい状況を体験しています。

 

私がドイツで暮らしてきた15年という短い期間だけを見ても、ヨーロッパは大きく変わりました。日本の新聞やテレビのニュースは、毎日の出来事を報じることを目的にしているので、このような歴史のうねりは、なかなか伝わってこないと思います。そこで今日は、現地に住んでいる者の目から、ヨーロッパの変化について皆さんにお伝えしようと思います。

 

2 ベルリンの壁崩壊が統合に拍車

 

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1989年にベルリンの壁が崩壊したことは、ヨーロッパの地図と、力関係を大きく書き換えました。この直後、東ヨーロッパ、中部ヨーロッパで次々に社会主義政権が崩壊し、最終的にはソビエト連邦も解体されたからです。しかしこの出来事は同時に、西ヨーロッパの国々の統合にも、拍車をかける起爆剤となりました。EU・欧州連合を中核とする、ヨーロッパ統合が、1990年代の初め、つまりドイツが統一された以降に、急に活発になったことは、偶然ではありません。

 

私は、1980年、早稲田大学の学生だった頃に西ベルリンを訪れ、町を東西に分断する壁に、強い衝撃を受けました。そして1989年の夏には、NHKスペシャルの取材のために、壁沿いの地域でビデオ撮影をしたばかりでした。それだけに、壁の崩壊直後に、ワシントンからベルリンに派遣された際に、東ドイツの市民が壁の裂け目を通って、続々と西側に歩いてくる様子を目にした時には、「ヨーロッパとドイツは、根底から変わる」と強く思ったのです。

 

スライド4 壁崩壊直後のベルリン

 

鉄のカーテンが崩壊してからは、旧東ドイツやチェコ、ポーランド、ハンガリー、ウクライナ、白ロシアなどを訪れましたが、そこでは半世紀近い、社会主義による支配が、深い爪痕を残していました。特にチェコやポーランドなど、むりやりソビエトの影響下に組み込まれていた国々が、ヨーロッパ諸国の共同体に戻らない限り、ヨーロッパの統合は完成しないという印象を強く持ちました。その意味で去年5月に、中部ヨーロッパの国々が、欧州連合に加盟したことは、これらの国々にとって、第二次世界大戦と冷戦がようやく終わったことを意味しているのです。

 

さてドイツは、第一次世界大戦以来、二度にわたって、ヨーロッパに大きな混乱を巻き起こしてきました。特に、ナチスドイツが狂った人種政策によって、ユダヤ人600万人を殺害したほか、周囲の国々に大きな被害を与えたことは、今日のヨーロッパでも忘れられていません。このため、ヨーロッパの国際政治の世界には「Deutsche Frage」つまりドイツ問題と言う言葉があります。このドイツ問題が、ベルリンの壁崩壊とドイツ統一によって、亡霊のようによみがえってきたのです。

 

ベルリンの壁が崩壊した時、旧連合国であるイギリス、フランス、ソビエトはドイツ統一に反対しました。これらの国々は、「ヨーロッパの真ん中に、8200万人の人口を持つ国が突然現われて、再びヨーロッパを支配しようとするのではないか」という危惧を抱いたのです。私はドイツ統一をめぐる、各国の交渉について取材している時に、ポーランドなど周辺の国々が、ドイツに対する強い不安を抱いていることに気づきました。もしもアメリカのブッシュ大統領が、ドイツを応援していなかったら、統一は大幅に遅れていたでしょう。

 

統一を達成した、当時のコール首相と、フランスのミッテラン大統領は、ともに戦争の悲劇を体験した世代です。彼らは統一ドイツが周辺国に与える不安感を取り除くためにも、ヨーロッパの統合を加速しなくてはならないと考えました。大きくなったドイツを、ヨーロッパの共同体の中に、より深く埋め込んで、周囲の国々の懸念を少なくすることが、統一の成功にもつながると考えたのです。

 

つまり、ヨーロッパ統合の最大の動機は、第二次世界大戦の悲惨な経験にあると言っても、言い過ぎではありません。ヨーロッパ人は、ナショナリズムがもたらす損害に、こりごりしたのです。

 

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ドイツ統一の翌年、1991年の12月に、西ヨーロッパの国々は、オランダのマーストリヒトで、経済・通貨同盟を結成することで合意しました。後にユーロという形で実を結ぶ、マーストリヒト条約の誕生です。この時に通貨同盟の創設について、主導権を握ったのがコール首相とミッテラン大統領でした。長年にわたって、不倶戴天の敵だったドイツとフランスの戦中派世代が、ドイツ統一がヨーロッパ全体に及ぼす影響を配慮して、通貨同盟の実現を急いだのです。

 

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私は1990年代の前半に、通貨同盟について取材している時に、「なぜドイツ人は、あえてマルクを捨てようとしているのだろう」という疑問を持ちました。西ドイツのマルクは、ヨーロッパで最も強く、安定性の高い通貨でした。マルクは、単なる通貨ではなく、戦後の経済復興のシンボルでもあったのです。第一次世界大戦後に、ドイツは激しいインフレによって、紙幣が紙くず同然になるという恐ろしい事態を経験しました。

 

この時の記憶が今も骨身にしみているドイツ人は、通貨の安定性について、人一倍神経質なのです。このため、西ドイツは、日本でいえば日銀にあたるドイツ連邦銀行に、通貨の安定性を確保する、お目付け役として、強大な権限を与えたのです。ヨーロッパでは、「ドイツ人は神を信じなくても、ドイツ連邦銀行は信じる」と言われたほど、ドイツ人が連邦銀行に寄せる信頼感は強かったのです。

 

実際1990年代の前半には、ドイツ市民の間では、通貨統合に対する不信感が強く、もしもドイツでユーロ導入について国民投票を行っていたら、ユーロはほぼ間違いなく否決されていたでしょう。ちなみに、ドイツでは全国民が参加する国民投票は、法律で認められていません。

 

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ドイツ政府が、国民に信頼されているマルクを捨てて、他のヨーロッパ諸国と新しい通貨を共有しようとしていることは、私には大変興味深く感じられました。私はその答えを見つけるために、連邦銀行、財務省や経済団体、金融機関を訪れて取材を行いましたが、財務省で通貨統合を担当していた、ギュンター・グロッシェ課長の話を今も覚えています。

 

グロッシェ課長によると、ドイツのマルクだけがヨーロッパで強すぎる状況がいつまでも続くと、周辺諸国の反発を買って、ドイツにとっては良くないというのです。特に統一後は、ドイツはヨーロッパの調和を乱す要因になるのではなく、「良きヨーロッパ人」になるために、通貨同盟の結成を力強く推進したというのです。

 

私は、グロッシェ課長が、「ドイツにとって、通貨同盟がもたらす経済的な利益は、政治的な利益よりもはるかに小さい」と言ったので、少し驚きました。当時日本やアメリカでは、通貨同盟は、主に経済的なプロジェクトであると考えられていたからです。

 

これに対して、通貨統合を進めている人たちは、通貨統合によって、ヨーロッパの政治的な統合を深めることを深めようとしていたのです。グロッシェ課長によると、ドイツがマルクを捨てて、通貨政策に関する決定権を、他の国と分かち合うという決断をした、最大の理由はそこにありました。

 

となりの国と同じ通貨を持つということは、通貨政策についての権限を、欧州中央銀行という、国際機関に譲り渡すことになります。つまり国の政策権限の一部をあきらめることになるのです。現在のアジアでは、日本が韓国や中国と同じ通貨を使うということは、ちょっと考えられません。これはヨーロッパで、国家の枠を超えようという試みがいかに進んでいるかを、示しています。

 

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3 ユーロの目的は政治統合

 

つまりユーロの導入は、経済よりも、むしろ政治に関するプロジェクトなのです。ヨーロッパに住んでみますと、「ヨーロッパ人」というアイデンティティーについて、社会の階層によって、大きな違いがあることに気がつきます。

 

政治家や学者、財界人やジャーナリストなど、社会のエリートの間では、外国人との交流が多いこともあって、「自分はヨーロッパ人だ」という意識が生まれつつあります。

 

これに対し市民の間では、「自分はヨーロッパ人だ」という意識がまだ育っていません。様々な言葉や慣習を持つヨーロッパ各国では、伝統的な文化に対する執着がとても強く、アメリカに比べると、地域的な多様性が大きいのが特徴になっています。たとえば私が住んでいますミュンヘンから、車で南に3時間走れば、言葉も文化も違うイタリアに着いてしまいます。また、北東に2時間も走れば、そこはチェコの国境です。

 

このように、ヨーロッパ人としてのアイデンティティーが薄い中で、政治的な統合を進めるための手段として、エリートたちが考え出したのが、ユーロの導入だったのです。つまり、通貨という、人々が毎日使う支払手段を同じにすることによって、ヨーロッパ人としての意識を少しでも強めようというわけです。

 

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ミュンヘン大学の、応用政治学研究所のヴェルナー・ヴァイデンフェルト所長も、「ユーロは、ヨーロッパの人々が、日々の生活の中でお互いに結びつき、依存していることの象徴となる。同じ通貨を持つという根本的な変化によって、ヨーロッパ人としてのアイデンティティーが強まる可能性がある」と述べています。

 

国同士が歩み寄るために、政治的な統合ではなく、経済やビジネスを第一歩にするというのは、よく使われる手段です。1952年に欧州連合そして欧州共同体の母体である、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体が生まれました。これは、まだ第二次世界大戦の記憶が生々しく、政治的・文化的な協力は、各国の国民感情を考えると難しかったために、経済とマーケットという分野から、ヨーロッパ統合のための第一歩を踏み出したのです。

 

お金をもうけたり、貿易量を増やしたりすることは、誰にとっても直接的な利益ですから、感情的な対立とは切り離して、協力することができます。これに対し、政治や文化の面で、国同士が協力するのは、はるかに複雑で難しいことです。

 

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このように、ヨーロッパ諸国の政府は、政治統合を深めるための手段として、ユーロを導入したわけです。ユーロは、ヨーロッパでの日常生活に、すっかり溶け込みました。ドイツからイタリアやフランスに旅行する時には、お金を交換する必要がないので、大変便利になりました。ユーロが導入される前には、ドイツマルクの交換レートが、イタリアやギリシャの通貨に対して高くなりすぎ、ドイツからの輸出の妨げになることがありました。しかし、ユーロが導入された後は、そうした為替リスクはなくなりました。

 

去年の5月に欧州連合にチェコなど10カ国が加わり、加盟国の数は25に増えました。これによってEUの人口は4億5400万人に達し、巨大なマーケットが生まれました。ルーマニア、ブルガリア、そしてトルコなどの国も加盟を希望しており、欧州連合がさらに広がることは確実です。新しい加盟国が、経済的な条件を満たせば、ユーロを使う国の数はさらに増えていくでしょう。

 

人と物の流れをスムーズにするために、いわゆるシェンゲン協定に属している国の間では、国境検査も廃止されました。ドイツとイタリア、フランス、オーストリアなどの間には、税関や検問所もないので、車で旅行していると、いつ国境を越えたのかわからないほどです。

 

ヨーロッパに住んでいる人々もあまり気づいていないことですが、経済や生活の中で、欧州連合の影響力は高まる一方です。現在、欧州連合の加盟国で新たに施行される、経済に関する法律のほぼ半分は、欧州委員会が提案して、欧州議会で承認された指令を、国内法として制定したものです。つまり、欧州連合の指令は、銀行、保険の営業許可から、独占禁止法、廃棄物の処理や大気汚染の防止、会社での差別の禁止に至るまで、広い範囲に及んでいるのです。

 

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4 イラク戦争で政治統合の未熟さが露呈

 

ただし、政治学者や知識人たちの間では、「ヨーロッパが、巨大なマーケットとして統一されただけでは、政治的な統合は進まない」という声が出ています。

 

たとえば、アメリカのキッシンジャー元国務長官は、ある時「ヨーロッパに電話をかけたいと思っても、どの電話番号を選べばよいかわからない」と述べたことがあります。これは、ヨーロッパ諸国の外交や防衛に関する政策が、ばらばらで統一が取れておらず、まとめ役がいないことについての、アメリカの不満を表わしています。

 

このため、欧州連合は、NATO・北大西洋条約機構の事務総長だったソラーナ氏を、外交政策や防衛政策をとりまとめる責任者に任命し、対外的に「ヨーロッパとしての一つの顔」を持とうと努力しています。

 

しかし、現実はそう簡単ではありません。結論から申しますと、ヨーロッパは、共通の外交政策を持つという目標から、はるか遠くに離れた状態にあります。

 

たとえば2003年にアメリカのブッシュ政権は、イラクに侵攻する直前に、ヨーロッパ諸国に対して支援を求めました。この時、ヨーロッパ諸国は団結して一つの顔を持つどころか、イラク戦争をめぐる意見が真っ二つに分裂してしまったのです。

 

ドイツ、フランス、ベルギーがイラクへの武力行使に反対したのに対し、イギリス、スペイン、イタリア、ポーランド、チェコなどの国々は、アメリカを支援したのです。スペインやイタリアでも、国民の間では、戦争に反対する意見が強かったのですが、当時の政府はアメリカとの関係を重視して、ブッシュ大統領を支持しました。

 

また、東ヨーロッパの国々の間にも、ソビエト陣営に半世紀近く組み込まれてきた経験から、「いざという時に一番頼りになるのはアメリカだ」という考え方が強く、自国の利益を重視して、イラク戦争を肯定したのです。チェコやポーランドにとっては、東にひかえているロシアは、今なお不気味な存在であり、その動きに、常に神経をとがらせています。

 

このため、東ヨーロッパの国々は、将来の万が一の事態に備えて、アメリカとの関係を良くしようとしているのです。ソビエトの崩壊後、チェコやポーランドが真っ先にNATOという、アメリカを頂点とする軍事同盟に加盟したのも、ロシアの脅威から身を守ることが、目的でした。

 

イラク戦争をめぐるヨーロッパの混乱ぶりは、欧州連合の加盟国が、共通の外交政策を持つという試みにとっては、大きな挫折でした。アメリカを支持するか、否かをめぐって、ヨーロッパに深い亀裂が生まれたことは、欧州連合の政治的な統合が、まだ深まっていないということを、はっきりと示しました。

 

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1990年代の前半に、ユーゴスラビアに属していたクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナが独立して、セルビア系市民との間で戦争が起きた時も、そうでした。ドイツは伝統的にクロアチアとの結びつきが強く、フランスとイギリスはセルビアと歴史的につながりが深いために、ヨーロッパの足並みがそろわず、欧州連合の和平工作は、失敗を繰り返したのです。その間に何万人もの市民が、虐殺や戦闘で命を落としていきました。

 

欧州連合に加盟している国々は、平和な時に開かれる首脳会議などでは、ヨーロッパの政治的な団結を強めることの重要性を、常に強調しています。ところが、戦争など、自国の利益に直接関わる問題が浮かび上がってくると、とたんにエゴイストの集団になって、足並みが乱れてしまうのです。

 

イラク戦争のように重要な問題について、ヨーロッパとして一つの意見を持てないことは、欧州連合の大きな弱点、いやアキレス腱と言っても、言い過ぎではないかもしれません。もちろん25カ国の利害を調整して、意見を一つにまとめるのは、想像を絶するほど複雑な作業です。しかし、この弱さを克服できない限り、欧州連合は、アメリカに肩を並べる勢力になることはできないと思います。

 

5 政治同盟をめぐる議論

 

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このように、欧州連合では、経済的な統合に比べると、政治的な統合は比較的遅れています。しかし、1990年代の後半から、政治的な統合を深めるための、様々な努力が行われています。

 

その一つが、欧州連合に加盟する全ての国に適用される、憲法を作る試みです。ヨーロッパ諸国の首脳は、去年10月にローマで、欧州憲法に関する条約に調印しました。欧州連合は、2007年までにこの憲法を施行することを目標にしていますが、いくつかの国では国民投票を行わなくてはならないので、施行までにはまだ紆余曲折が予想されます。

 

日本ではあまりこの憲法について注目されていませんが、私はヨーロッパが政治的な統合を強める上で、極めて重要な一歩であると考えています。たとえば、この憲法によりますと、加盟国の首脳たちは、欧州連合を代表する大統領と、外務大臣を選ぶことになっています。これは、ヨーロッパが一つの意見を持ち、国際政治の中でより大きな影響力を持つことを狙っています。

 

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欧州連合では、立法、行政、司法の三権が分立しており、ストラスブールに欧州議会を置いています。欧州議会の議員は、各国での選挙によって選ばれますが、市民にとっては、まだなじみが薄い存在です。しかし欧州憲法が施行されれば、欧州議会は、ヨーロッパの内閣にあたる欧州委員会のメンバーを任命する権利などを与えられることによって、権限が強化されます。

 

去年、欧州議会でちょっと面白いエピソードがありました。欧州委員会の新しい委員長に内定していたバローゾ氏が、新しく彼が選んだ委員会のメンバーについて、欧州議会の承認を得ようとした時のことです。

 

しかし、欧州議会の議員たちは、あるイタリア人の候補について、女性や同性愛者を差別する発言を行っていたことを理由に、激しく反対しました。このため、バローゾ氏は、承認を求めることを断念して、委員会のメンバーを入れ替えざるを得なくなったのです。この対決は、欧州議会の影響力がしだいに増えていること、そして欧州連合で、民主主義が機能し始めていることを、強く感じさせました。

 

6 ヨーロッパ軍も創設へ

 

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もう一つ、ヨーロッパが政治的な統合を強めていることは、ヨーロッパ軍を作ろうという動きにも現われています。1990年代にボスニアやコソボで内戦が起きた時に、ヨーロッパ諸国は自分たちの手で紛争を解決することができず、アメリカがNATO・北大西洋条約機構を率いて、セルビア側を攻撃するまで、戦闘をやめさせることができませんでした。

 

コソボの戦闘では、NATOが行った爆撃の90%は、アメリカ空軍によるものでした。つまり、ヨーロッパは、アメリカの助けなしには、自分たちの地域で起きた紛争すら解決できなかったのです。

 

この経験は、ヨーロッパ人たちに、軍事力を背景に持たない外交努力は、有効ではないということを教えました。さらに、イラク戦争によって、アメリカとフランス・ドイツの間で、安全保障をめぐり、深刻な意見の違いが表面化しました。アメリカは将来中東とアジアに軍事力を集中しなくてはならないため、ヨーロッパに置いた兵力を急激に減らしています。このため、将来ヨーロッパで局地紛争が起きても、アメリカが軍事介入してくれるという保証はありません。

 

このため欧州連合は、アメリカが助けてくれなくても、自分たちの手で紛争を解決できるように、2007年までに、6万人の兵力を持ったヨーロッパ軍を創設する予定です。その先駆けとして、今年中に、ドイツやフランスなど20ヶ国が、2万人の兵力を出し合って、「バトル・グループ」、つまり戦闘部隊を、結成することになっています。これは、欧州連合が持つ初めての戦闘部隊です。

 

この部隊は、紛争が終わった後の平和維持、つまりピース・キーピングを行うだけではなく、現地の武装勢力が、国連の停戦決議などに従わない場合には、武装勢力を攻撃して、決議に従わせる作戦、つまり平和創出任務も行うことになっています。

 

スライド16 EUに新たに加盟した国の兵士たち

 

欧州連合は、2003年のコンゴ内戦の際に、アメリカの助けなしで平和維持作戦を行ったほか、去年の暮れではボスニアでの平和維持任務を、NATOから引き継ぎました。このようにヨーロッパ諸国は、軍事力について、アメリカに完全に依存している状態から、少しずつ抜け出ようとしているのです。

 

スライド17 プロイガー元外務次官

 

つまり、ヨーロッパは、大統領、外務大臣、一つの憲法、一つの軍隊を持とうとしているのです。ヨーロッパが、長期的には「連邦」、つまり「事実上の国家」としての性格を強めていくことは間違いありません。

 

ドイツ政府のフィッシャー外務大臣の下で外務次官を務めた、グンター・プロイガー氏に、欧州連合の未来についてインタビューをしたことがあります。プロイガー大使は、「欧州連合が中央政府と軍を持ち、中央政府と加盟国の間で、どのように主権を分かち合うかが決まれば、連邦としての条件は整う。連邦の創設が、遠い未来のことになるとは思わない」と、楽観的な意見を持っていました。

 

さて、5月29日にはフランスで欧州憲法について国民投票が行われる予定ですが、今の情勢では、反対派の票が、賛成派を上回るものと予想されています。これは、シラク大統領の経済政策に不満な市民が多いことや、トルコのEU加盟に反対する市民が多いことが、原因です。

 

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ヨーロッパを政治的に統合しようという努力は、市民の強い支持の下に行われているものではなく、各国のエリート、そして知識階級が主導権を握っています。シラク大統領は、国民投票を行うと決断した時、市民が欧州連合に対して抱く不満を、過小評価したと言えるかもしれません。欧州憲法の制定へ向けて、最も熱心に努力してきたフランス政府に対し、国民が「ノン」と言った場合、憲法の誕生が大幅に遅れる可能性があります。

 

しかし私は、フランスの国民投票の結果、欧州憲法を制定しようという努力が暗礁に乗り上げても、それは一時的なものであり、10年、20年単位で見れば、ヨーロッパが一種の連邦へ向かっていく歩みを、もはや止めることはできないと思っています。

 

7 多様性を重視するヨーロッパ

 

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私は特派員としてワシントンに住み、アメリカのあちこちで取材をしたので、ヨーロッパとアメリカを比べることがよくあります。アメリカでは、2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、政策が急速に右旋回し、外国人や少数派に対する目が厳しくなっています。また去年ブッシュ大統領が、保守的なキリスト教徒、特に福音派プロテスタントの票を集めることに成功して、再選されました。アメリカでは、政治の中に宗教的な価値の実現を求める市民が増えています。

 

ワシントンの研究機関「ピュー・リサーチ・センター」が行った世論調査によりますと、回答者の68%が、「大統領は強い宗教心を持つべきだ」と答えています。また福音派プロテスタントのうち、87%が、大統領に強い宗教心を望んでいます。

 

これに対しヨーロッパでは、宗教が政治の中で果たす役割は、小さくなる一方です。たとえば去年欧州連合の加盟国が調印した欧州憲法については、イタリアやポーランドなどから、「キリスト教がヨーロッパの基本的な価値であることを、憲法の中に明記するべきだ」という意見がありました。しかし欧州連合は、激しい議論の末、憲法の中でキリスト教がヨーロッパの基本的な価値であると断定することを避けたのです。

 

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その理由は、ヨーロッパには1500万人から2000万人のイスラム教徒が住んでいるため、憲法の中でキリスト教を基本的な価値と定めると、イスラム教徒が疎外感を持つ恐れがあることです。アメリカではイスラム教徒の割合は1%前後にすぎません。これに対し、西ヨーロッパの人口の中にイスラム教徒が占める割合は、3・9%、フランスでは6%に達しています。

 

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また国民のほとんどがイスラム教徒であるトルコや、国民の4割がイスラム教徒であるボスニア・ヘルツゴビナも、欧州連合に加盟することを希望しています。つまり、ヨーロッパではアメリカに比べると、イスラム教徒の比率がはるかに高いのです。そして欧州連合は、イスラム教徒を疎外しない形で、ヨーロッパの統合を勧めようとしているわけです。

 

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宗教の問題は、ヨーロッパが国家や民族の多様性を、重視していることの、一つの例にすぎません。欧州憲法は、その基本的な原理を、”Vereint in Vielfalt”つまり「多様性を保ちながら、団結すること」と定義づけています。そしてヨーロッパは、人間の尊厳、民主主義、正義と寛容の精神、差別の禁止、複数主義、男女同権を重視するとしています。

 

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欧州憲法には、「人間の尊厳は侵してはならない」という一節があります。これは、ドイツの憲法から引き継がれたものです。ドイツの憲法、そして欧州憲法の中でこの文章は、きわめて重い意味を持っています。

 

この文章には、ナチス・ドイツが600万人ものユダヤ人を殺害して、ヨーロッパに大きな被害をもたらしたこと、そして他の国々の中には、ナチスを助けたものもあったということへの、深い反省が込められているのです。ヨーロッパの国々が、アメリカ以上に人権問題に敏感である背景には、こうした歴史の教訓があります。

 

 

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最近では、アメリカの知識人の間にも、ヨーロッパの姿勢を評価する動きがあります。たとえばワシントンの経済動向研究財団の所長であるジェレミー・リフキンは、「同時多発テロ以降、アメリカは他の国々から、傲慢な国と見られている」と述べ、アメリカのソフトパワーの発信者としての魅力が薄れていると指摘しています。そして「アメリカン・ドリーム」にかわって、文化の多様性と平和共存を重視する「ヨーロピアン・ドリーム」が注目を集め始めていると主張しています。

 

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ネオコンの論客の一人として知られるアメリカのロバート・ケーガンも、米国が依然として武力を重視し、戦争を続けている中、ヨーロッパは武力中心の発想を捨てて、多国間の交渉や国際機関を重視することによって、過去2000年間で最も平和な状態を実現したと指摘しています。彼はヨーロッパを、哲学者カントが指摘した「永続的平和」の状態にある「楽園(パラダイス)」とまで呼んでいます。つまり、ケーガンは、ヨーロッパがアメリカよりも先に、歴史を超えた(ポスト・ヒストリカルな)段階に入ったというのです。

 

ヨーロッパに住んでいます私の実感では、ヨーロッパも様々な問題を抱えており、決して楽園とは言えません。しかし、私が1980年に初めてドイツに行った時に見たような、田園地帯で戦車部隊が演習を繰り返し、人々がワルシャワ条約機構軍の攻撃や核戦争におびえているという状況は、完全になくなりました。

 

ヨーロッパ、特にドイツとフランスは、アメリカのように、国益のためには国連も無視して戦争に踏み切るという姿勢を拒否しています。主権の一部を、欧州連合という国際機関に譲り、多国間の交渉によって紛争を解決しようとするヨーロッパの姿勢は、9月11日事件以降ブッシュ政権が取り始めた、新しい外交・防衛政策に対する、アンチ・テーゼとして、今後重要性を増していくと思います。

 

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日本は、国の防衛をほぼ完全にアメリカに依存しています。また経済に関しても、日本がアメリカに依存する度合いは、ヨーロッパよりもはるかに高くなっています。それが、小泉政権がイラク戦争について、ブッシュ政権を全面的に支援した理由です。中国との関係や朝鮮半島の緊張など、日本が置かれた状況を考えますと、他に選択の余地はなかったのかもしれません。

 

しかし、日本の外では、ブッシュ政権の政策に対して今も「ノー」と言い続けている国はたくさんあります。憲法でカバーされないまま、国連の安全保障理事会の決議にも基づかずに、紛争地域に軍を送ることは、大きな問題だと思います。日本では、自衛隊のイラク派兵をめぐって、本格的な憲法訴訟は起こりませんでしたが、ドイツであれば、侃侃諤諤の議論が起きたことでしょう。

 

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様々な利益が複雑にからみあった今日の国際社会では、一つの物事を、様々な角度から眺める、複眼的な物の見方がきわめて重要です。

 

日本にいますと、外国に関するニュースはアメリカとアジアに関する情報が中心で、ヨーロッパについての情報は比較的少ないことに気がつきます。しかし日本の外では、アメリカとは一線を画する、ヨーロッパのソフトパワーが、注目され始めているのです。

 

われわれ日本人も、複眼的な物の見方を身につけるためには、アメリカ一辺倒ではなく、ヨーロッパからの情報にもこれまで以上に耳を傾け、ヨーロッパ人との対話を深める必要があるのではないでしょうか。

 

ご清聴ありがとうございました。